ニイハウ:ハワイの「禁じられた島」

多くの人にとって、ハワイと言えば、白い砂浜、ルアウ(ハワイ式のパーティー)、日焼けしたサーファー、そしてゆったりとしたハワイらしいライフスタイルだろう。しかしハワイには、オアフ島のホノルルやマウイ島の人気観光地の他にも、存在すら知られていない島がある。

カウアイ島の西側から17マイルほど離れた沖合に、ニイハウ島と呼ばれる島がある。「禁じられた島」という名前の方が知られているかもしれない。この島の歴史や隠された謎と共に、なぜこの島が長年の間閉ざされているのかについてもご紹介しよう。

すべてはエリザベス・マックハッチンソンから始まった

Elizabeth McHutcheson
Wikipedia Commons
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エリザことエリザベス・マックハッチンソンは1800年にスコットランドで生まれた。彼女はその後、1824年に船長のフランシス・シンクレアと結婚し、6人の子どもをもうけた。6番目の子どもが生まれた後、シンクレア家はニュージーランドで新生活を始めようと旅に出ることを決意した。

シンクレア家の皆、それが家族の運命をまったく違うものに変えてしまうことになるなどと、想像だにしていなかった。

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すべてがうまくいっているかのようだった

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Everything Seemed To Be Working Out
Culture Club/Getty Images
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1841年、シンクレア家はニュージーランドに到着し、ピジョンベイを住みかとすることにした。そこで一家は農場経営を開始し成功を収める。一家は農場経営をすることになったものの、フランシスは船長としてのスキルを活かして航海しては、家族が作った農作物を売りに出ていた。

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ニュージーランドに到着してから5年後のこと、フランシスと長男は海に出て、悲劇にあう。なんと、船は沈没し、乗船していた者すべての命を奪った上に、載せていた積荷のすべてを失ってしまったのだ。

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エリザは簡単にあきらめなかった

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She Wasn't Going To Give Up
Historica Graphica Collection/Heritage Images/Getty Images
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夫と長男を亡くし、エリザは、ピジョンベイの農場での何年にもわたる努力すべてが泡のようになったと感じていた。しかし、5人もの子どもを世話しなければならず、エリザはここであきらめるわけにはいかなかった。

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必死に働き、エリザは再びピジョンベイの農場を成功させ、すべての子どもを結婚させると、一家はカナダに移住することを決意する。1863年、今度はカナダで新しい農場を始めることを夢見て、一家は再び船に乗った。

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カナダは期待していたものではなかった

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WAVE: The Museums, Galleries and Archives of Wolverhampton/Getty Images
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その年のうちにカナダに到着した。バンクーバー島に着いた一家はガッカリした。土地はほとんど人の手が入っておらず、荒れ地のままだった — 農場経営を成功させるにはほど遠い状況だったのだ。

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エリザはカリフォルニアに移るべきかどうか迷っていたが、大きな可能性を秘めている場所 — 当時はサンドイッチ諸島と呼ばれていた、ハワイ諸島についての噂を耳にした。そしてエリザはハワイに移住することを決め、カメハメハ5世と謁見し、ニイハウ島の購入を打診したのだった。

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1つだけ条件があった

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One Condition
Peter Hermes Furian/iStock.com
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1864年、カメハメハ5世はシンクレア家にニイハウ島を金貨1万ドルで売却することに同意した。しかしながら、売却するにあたって、カメハメハ5世は一家に対し、島とその島民を外部の影響から守るようにと要請した。

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シンクレア家はその条件に同意し、島での新しい生活を始めた。エリザは島の住民から酋長と見なされ、一家は島の住民のためにできる限りのことをした。

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1930年代、断固たる措置を取る

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Underwood Archives/Getty Images
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シンクレア家は私有地としてニイハウ島を所有し、ハワイに忍び寄るアメリカから離れることに成功していた。一家はカメハメハ5世からの要請を真剣に受け止め、1930年代に外部者のニイハウ島への上陸を一切禁止した。

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これはポリオや麻疹といった病気のまん延を防ぐためであるとともに、「カヒキ」として知られる島独自のハワイ文化を守るためでもあった。

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現在の島の様子

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Time Machine
Polihakle/Wikipedia
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現在も、ニイハウ島はエリザ・シンクレアとその家族の末裔であるロビンソン一家によって所有されている。ロビンソン一家も祖先と同じくカメハメハ5世への誓いを守っており、島への出入りを必要最小限とし、現代の外界に影響されないようにしている。

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ロビンソン家のブルースとキースはABCニュースに対し、「島の引き渡しの際にカメハメハ5世から受けた要請をできる限り維持するように努めています。(中略)島の人々のために王様がされたように、私達も島を守っていくつもりです」と語っている。

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この島では時が止まっている

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Stuck In Time
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ニイハウ島は外界との接触がほとんどなく、まるでここだけ時が止まっているかのようだ。この島の住民は何百年も前から先祖が暮らしてきたように、今現在も暮らしている。

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島民は今もこの島で、昔ながらの方法で狩りや釣りをして暮らしている。この島は世界中でもハワイ語が主に話されている唯一の場所だ。

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島の暮らしはリラックスしたもの

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Relaxed Life
pagu0728/Instagram
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世界から分断されていることは、良い面もある。ほとんどの場合、ニイハウ島での生活はリラックスしていて平和だと言われている。島には水道や電気も整備されてないが、雨水をため、ソーラーパネルを利用して暮らしている。

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ニイハウ島にあるほぼすべての家にソーラーパネルがついている。大都会の喧騒から離れ、現代技術も特に使わず生活することで、島の暮らしはゆったりとしたものになっている。

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島の住民は出入りが自由

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Inhabitants Can Come And Go
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外部者の島への立ち入りは制限されているものの、ニイハウ島の島民は自由に出入りできる。ニイハウ人は本土での人々の暮らしがどのようなものかについてまったくの無知というわけではない。さらに、カウアイ島の方には仕事が多くあるため、多くの島民がカウアイ島と「禁じられた島」を行ったり来たりしている。

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こういったこともあって、実際に何人の人がニイハウ島に住んでいるのかを算出することは難しい。2010年の人口調査では、およそ170人の人がニイハウ島に住んでいると推測されているものの、実際にはおよそ70人ほどではないかとも言われている。

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島には規則がたくさん

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There Are Rules
eahawaii1902/YouTube
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島での暮らしは地上の楽園かのように思う人もいるだろうが、ニイハウ島民は今なお、かつてのシンクレア家、現ロビンソン家によって定められた規則を遵守しなければならない。一般的には、ニイハウ島出身者は銃や酒を所持してはならず、毎週日曜日に教会に行かなければならない。

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さらに、元島民の話によると、男性は髪をのばしてはならず、イヤリングをつけてはいけないという。そして規則を破った者は島から追放される。

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多くの食料が島に運び込まれている

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Delivered To The Island
Scott Barbour/Getty Images
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ニイハウ島はハワイの他の地域と隔離されているものの、食品や日用品など必要なものは毎週はしけ船で運び込まれている — 酒やタバコ、銃など禁止されているものを除いて。

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面白いことに、島の住民は銃を所持することは許されていないが、島が戦略的に重要な位置にあるためアメリカ軍が防勢作戦基地を展開しており、数名の島民が任務に従事している。

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ニイハウ島での実際の暮らしは

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What It's Really Like
Ken Sakamoto
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ニイハウ島での生活がどのようなものかについては、肯定的なものと否定的なものに分かれている。ある情報源は、島での暮らしはまるでユートピア的社会で、皆が厳しい規則を守り、文化的な信仰を持っているとする一方、まったく違うと述べているものもある。元ハワイ州土地自然資源局長のピーター・T・ヤングはこう説明している。

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「「ニイハウ島」は私達の住む外界からは隔離されていますが、島民にとっては孤立した島ではありません。外見もその辺にいる人達と何ら変わりませんし、変わった行動をするわけでもありません。(中略)単に彼らは、私達がなかなか見ることが制限されている土地に住んでいるということなのです」

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島は外部者から守られている

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Guarded Against Outsiders
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ロビンソン家もニイハウ島の住民も、自分達の結束の強いコミュニティを観光客や他のハワイ人の目に触れないようにしたいと願っている。そのため、島の住民ではない不正侵入は厳重に禁止されており、違法に島に立ち入りしようとした人には制裁が待っている。

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しかしながら、地形の面から島に出入りできる場所は限られている。そのため、島への侵入というのは島民にとって主な懸念事ではない。

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島にはツアー(制限あり)で行ける

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Limited Tours
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驚くべきことに、メディアや島民以外の者の出入りを禁止しているにもかかわらず、ニイハウ島は島を楽しめるツアーやガイド付ツアー(行先に制限あり)を提供している。島の奥深くには行けないかもしれないが、少なくとも岸辺にまで行けるツアーがあるのだ。

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かなりの金額を出せば、チャーターしたヘリコプターで島の周りを巡る半日ツアーまである。ガイド付の狩りが楽しめる終日サファリツアーは1人あたり1,700ドルだが、島のあちこちに立ち入ることができる。

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ツアーでさえも住民の生活圏には近づけない

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Never Close To Residential Areas
Christopher P. Becker/Wikimedia Commons
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島の所有者であるブルース・ロビンソンによると、「こうしたツアーは、昔ながらのハワイの島を見に来たいという人のために用意されているものです。(中略)私達は観光客を村に連れて行き、島民が見世物になるようなことは決して行いません。ヘリコプターにしても村の上は通りません。ツアーはそういうものではないのです」

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彼はさらに「島民のプライバシーを尊重していますし、外界と接触せずに生活したいという島民の希望も尊重しています。そして、私達もそれが失われないように保護していくつもりです」とも述べている。もしツアーに参加するのであれば、島民の生活が実際にどのようなものか見られるという望みは持たない方がいい。

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島は野生動物に人気

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Wildlife
Sylvain CORDIER/Gamma-Rapho via Getty Images
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島の人口が少ないため、島には絶滅危惧種を含め、動植物が繁栄している。この絶滅危惧種にはモンクアザラシが含まれている。モンクアザラシは、ニイハウ島での繁殖が成功して以来、毎年ハワイでは頭数を増やしている。

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現在のところ、毎年島で10~12頭の赤ちゃんに、成長したモンクアザラシがおよそ35頭生息している。こういった理由からも、ニイハウ島はよく保護されているのだ。

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ニイハウシェルで作られたレイは有名

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Shells
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ニイハウシェルは一般的に「禁じられた島」で見つけられた貝を指しており、このニイハウシェルでレイ(ネックレス)が作られている。通常、3種類の色や手触りの異なるシェルが使われる。

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島の住民の多くは工芸品を作ることが好きで、写真にあるようなレイなどを作っている。ニイハウシェルを使ったレイはハワイ諸島の店で見つけることができる。そして使われている貝によって値段はそれぞれピンからキリまである。

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島は一時的に第二次世界大戦に巻き込まれた

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アメリカが第二次世界大戦に入る前の真珠湾攻撃のときに、1人の日本人パイロットがニイハウ島に不時着した。パイロットは無事だったが、そのまま村全体を人質に取ろうとした。

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結果として、島の男2人が日本兵を押さえつけて銃を奪い、島の住民を傷つける前にその日本兵を殺害した。その男のうち1人はその勇敢な行動からパープル・ハート勲章を受けている。

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島での娯楽

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Entertainment
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島には限られたテクノロジーしか利用されていないため、休みの日には、島民のほとんどが娯楽としてビーチで過ごしたり、DVDやVHSビデオを見たりして過ごしている。しかしながら、多くの島民はそういった生活に飽きて、島を離れることを選ぶ者もいる。

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好きなように出入りできるため、20代に差しかかる多くの島民は、外の世界を経験すべく島を離れる。もちろん、いつでも島に帰れる。

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80年前のハワイ諸島での暮らし

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6つの美しい楽園の島々からなるハワイへようこそ!この写真が撮影されたのは1950年代だが、この頃ハワイに来ていればハワイ先住民らによる伝統的なフラダンスを見ることができただろう。フラダンスは腰を左右に揺らすゆったりとしたダンスで、その歌で物語を紡ぐ。

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フラは元々ハワイ諸島に移り住んだポリネシア人らによって生み出された。フラには「メレ」と呼ばれる伝統的なチャント、歌、詩がつきものだ。フラはメレを視覚的にダンスで表現し、そのダンスには主に2つに分類される。1つはフラカヒコで、西洋文化がハワイに入ってくる以前の古典フラダンスで、フラアウアナは西洋文化も取り入れて進化させた、現代的なフラダンスだ。

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ハワイのレイは温かい歓迎のしるし

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B. Anthony Stewart/National Geographic/Getty Images
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この写真は1954年に撮られたもので、写真の女性はカーネーションの花に糸を通し、カラフルな花のネックレス「レイ」を作っている。レイはハワイにきた訪問者に対し、歓迎する意味を込めて贈られる。レイはタヒチからハワイへと移り住んだポリネシア人らによって作られたもので、花や葉、貝や種、木の実、羽を主に使うが、動物の骨や歯を使うこともある。

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レイはハワイ文化の象徴ともいえ、「アロハ」という温かい歓迎と共にハワイへの訪問者に贈られるものだ。レイを贈られた場合には必ず受け取らなければならず、贈ってくれた人の前では首から外してはならない。

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ハワイの郊外での暮らし

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B. Anthony Stewart/National Geographic/Getty Images
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この写真は1954年のハワイでの暮らしぶりを表している。近所の人と白いフェンス越しに楽しくおしゃべりをしているが、これはアメリカ本土の郊外ではあまり見られない。もちろん、本土との違いはこれだけに限らず、オアフ島の緑が生い茂る壮大な谷が近所にある点も異なっている。

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毎日目が覚めると、目の前にこのような風景が広がっているなんて、素晴らしいことだろう。少なくとも、この近隣の人々にとっては間違いなくそうだと言える。この人達はハワイの州都であるホノルルに住んでいる。ホノルルはアメリカ合衆国の中でも最も西に位置する大きな都市で、世界の中でも、他と最も離れている都市だ。そしてこの家族らも第二次世界大戦直後にハワイに移住したのだろう。

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ハワイのルアウ(宴)のための調理

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Hawaii Reopens with Coronavirus Traveler Testing program
Photo by Kent Nishimura/Los Angeles Times / Getty Images
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1954年に撮影されたこの写真は、伝統的なハワイのルアウ(宴)のためにコックらが料理をしているところだ。ルアウ用に豚をあぶり焼きにする際には、炉から取り出した焼石をさばいた豚に置く。また、ルアウでの豚のあぶり焼きの食べ方にも色々ある。おそらくこのコックらは、ハワイ先住民の伝統的な料理、ラウラウを作っているのだろう。

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ラウラウはタロ芋の葉に豚肉を包み、蒸し焼きにしたものだ。豚の代わりにマナガツオに塩を振ったもの、牛肉、または鶏肉をタロ芋の葉で包むこともある。一般的にラウラウはイムと呼ばれる地面に掘った穴に焼石を並べたオーブンで、蒸し焼きにされる。

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オアフ島ではオキゴンドウが日常的にみられる

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Bates Littlehales/National Geographic/Getty Images
Bates Littlehales/National Geographic/Getty Images
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1969年に撮影されたこの写真では、女性がいるかの調教をしている。これらは正確にはオキゴンドウで、イルカの中でも三番目の大きさを誇る。ハワイ諸島の周りの海を住みかとするオキゴンドウは3頭いるが、世界中でもわずかしか存在しない。こうしたイルカはハワイでよく目撃されている。

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ハワイの中でも、特にこの写真が撮影されたオアフ島では、こうした見つけにくい生物を間近で見ることができる。イルカはたいてい人間に友好的で、このオキゴンドウらもダイビングしている人間やボートに乗っている人間に魚を捕まえて持って来てくれることがあるらしい。

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温かいカイルアで観光客らはリラックスして日光浴をしている

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ハワイに住んでいないのであれば、バケーションでハワイに行くのもいい考えだ。そして、1975年に撮影されたこの写真の人々は、正にカイルア・コナ・ヒルトン・リゾートでバケーションを楽しんでいる。このリゾートホテルの名前は変わってしまっているが、今でもこの場所を訪れることはできる。

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1975年と言えば、ちょうど大地震が起こり、ハワイを津波が襲った年でもある。1975年11月29日、マグニチュード7.4の大地震がハワイの島々の近辺で発生し、津波を引き起こし、2名の死者を出した。

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20世紀初頭からハワイは人気の旅行先に

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第二次世界大戦後、ハワイはバケーション先として人気を博している。この写真は1938年発行のボーグに掲載された写真だ。この時初めて一般的な人々にサーフィンというものが紹介されたのだが、今のように観光客が楽しむようになるまでには20年以上かかっている。

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1930年代初頭、アメリカ人の旅行先はまったく新しいものに変わっていた。ハワイはアメリカ合衆国にとっても最後に加わった州であったし、アメリカ国内であることには変わりなかったが、熱帯の楽園はまるで外国を訪れているかのように感じさせてくれる。こうした昔の写真からも、ハワイはちょっとした冒険先となり、楽しそうだという様子を観光客に伝えている。

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伝説のニック・ベック、波に乗る

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George Silk/The LIFE Picture Collection/Getty Images
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この写真は伝説のサーファー、ニック・ベックが1963年に波に乗っているところを撮影したものだ。サーフィンがアメリカ国内に広まったのは、このようなカッコイイ写真がライフ・マガジンに掲載された1960年代に入ってからだ。同誌は読者にサーフィンを紹介し、同時にその危険性についても紹介している。

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ニック・ベックはカウアイ島で生まれた。カウアイ島はハワイ諸島の中でも4番目に大きく、最古の島でもある。生涯を通して教師だったベックは、後にハナレイ小学校の校長になった。定年してからは、カウアイ島やハナレイの自然のままの美しさが守られるべく、開発ペースを落とさせた。

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かつてワイキキはゆっくりできる場所だった

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これは1960年のワイキキビーチの様子だ。この当時でさえ、バケーションでハワイに来ている観光客らはまったく無名だったビーチに楽園を楽しもうと押し寄せているのが見て取れる。オアフ島にあるワイキキビーチは、ホノルルの南側に位置している。オアフ島はハワイ諸島の中でも最大の面積を持つ島ではないにもかかわらず、最も人口が多い。ハワイ語でワイキキは「新鮮な水が湧き出る」という意味だ。かつてはオアフ島の内陸とこのビーチを隔てる湧水や渓流があった。

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ワイキキビーチは透明度の高い水、白い砂浜、ダイヤモンドヘッドを臨むハワイらしい場所と言える。この写真では随分のんびりとした様子だ。現在のワイキキは観光客らが集まる中心地となっているばかりか、たくさんの開発工事がビーチ沿いで行われている。

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何十年にもわたり、ホオキパに集まるサーファー達

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1987年に撮影されたこの写真の女性らは、マウイ島北部のホオキパビーチでサーフィンを楽しんでいる。ホオキパはあらゆる種類のマリンスポーツを楽しめる人気スポットだ。「ホオキパ」はハワイ語でおもてなしを意味する。昔ながらのハワイらしいおもてなしほど魅力的なものはない。

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ホオキパには4ヶ所のサーフィンポイントがある。強い風と大きな波が打ち寄せるため、サーフィンには絶好の場所であり、このビーチは世界でも有名なサーフィン大会の会場として知られている。

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ヘイアウは聖地

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Wolfgang Kaehler/LightRocket via Getty Images
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ハワイにはヘイアウと呼ばれるたくさんの聖地がある。外観はそれぞれ異なるが、岩を積み上げ、神へのお供え物を置いて、聖地であることが分かるようにしている場所もあれば、もっと精巧な寺のような建物が作られているところもある。

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ハワイ文化にとって、こうした場所を守り、手入れをすることは非常に重要だ。しかしながら、残念ながら、19世紀にキリスト教の宣教師団がハワイに根付いていた信仰をやめさせたときに、これらの多くが破壊されている。今日まで残されているもので古いものは、13世紀にまでさかのぼることができる。

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ハレ・オ・ピイラニ・ヘイアウ

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Hale O Pi'ilani Heiau
The Washington Post via Getty Images
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マウイ島のハナという町の郊外にハレ・オ・ピイラニ・ヘイアウはある。このヘイアウは非常に重要で、ポリネシア一帯の中でも最大の大きさを誇り、最も保存の状態が良い。作られたのは13世紀頃とされ、山の屋根まで運ばれた玄武岩でできている。

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岩は50フィートの高さまで積み上げられ、その広さは縦341フィート、横415フィートもある。壁の内側に入ると、さらに壁で囲まれており、台や穴まである。歴史学者の中には、このヘイアウは住居を目的として設計されたのではないかと言う人もいれば、ここが王国であったと言う人もいる。

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プウ・オ・マフカ・ヘイアウ

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プウ・オ・マフカ・ヘイアウは戦時下に建設された。歴史学者らはこれが最初に作られたのは17世紀のことで、18世紀に入って増築されたのではないかと考えている。このヘイアウはオアフ島の丘にそびえたち、ワイメア・ベイとワイメア・バレーを臨む。

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カオプルプルという名の大神官がこのヘイアウを管理しており、紛争の際には、島の北岸全体を見渡せる見張り場所として使われていた。また、歴史学者らによれば、この場所はルアキニ・ヘイアウであり、紛争中にも勝運をもたらすために生贄をささげた祭祀場であったという。

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カウル・パオア・フラ・ヘイアウ

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Instagram/@michael.rinne
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カウアイ島北岸にあるカウル・パオア・フラ・ヘイアウはハワイの歴史が詰まった場所だ。そして、カウアイ島の酋長ロヒアウが眠る場所でもある。ロヒアウの死後、その体は海岸を臨む崖の洞穴に埋められたそうだ。

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言い伝えによると、火の神ペレと恋に落ちたロヒアウはここで死んだと言われている。ペレの妹とワヒネオマオはロヒアウを蘇らせるため崖をよじ登った。2人の女性がハーブとチャントを唱えると3本の虹が現れたが、ロヒアウを蘇らせることはできなかった。ここはフラの女神ラカが祀られている場所でもある。

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ハレキイ・ピハナ・ヘイアウ・ステートモニュメント

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Haleki'i Pihana Heiau State Monument
Wikipedia Commons
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ハレキイ・ピハナ・ヘイアウ・ステートモニュメントは、10エーカーの広さを誇る公園で、2つのルアキニ・ヘイアウ(ハワイの神殿で人身御供が行われた祭祀場)がある。両方の神殿ともにマウイ島ワイルクのイアオ渓谷の入口付近に位置している。共に重要なハワイの酋長との繋がりを持っており、考古学者らが長年調査を実施している。

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これらの神殿は古くは1200年代にさかのぼることができると考えられている。1985年11月25日、この2つの神殿のあった敷地は、米国国立史跡に登録された。

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カマカホヌ

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Kamakahonu
Douglas Peebles/Corbis via Getty Images
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カマカホヌはカメハメハ大王として知られるカメハメハ1世の住居跡だ。カメハメハ大王はハワイ諸島を初めて統一しハワイ王国を建国した。ニイハウ島をシンクレア家に売却したカメハメハ5世の祖先でもある。カマカホヌはハワイ諸島最大の島、ハワイ島のカイルア・ベイの北端にあり、ここでカメハメハ大王はその余生を送ったと言われている。

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この地区は他にもハワイの王族や官僚の住居地として知られている。現在は、灯台が設置され、キング・カメハメハズ・コナ・ビーチホテルの一部となっている。

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ウルポ・ヘイアウ州立史跡

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Ulupo Heiau
Patrice Walker/Flickr
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ウルポ・ヘイアウ州立史跡はオアフ島カイルアのほとりに位置しており、ハワイの伝説にでてくる小人族メネフネと密接に関係しているとされるが、後にオアフ島の王族と関係していると言われている。この地域は繁栄し、1750年にそのピークを迎えていたが、1780年代に征服された。

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このヘイアウは当初、豊作祈願のために農耕の神を祀られていたと考えられていたが、後に人身御供や生贄をささげた場所へと変わっていったと思われる。

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ケアイワ・ヘイアウ州立公園

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Keaʻiwa Heiau State Recreation Area
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ケアイワ・ヘイアウ州立公園は、オアフ島のアイエアハイツと呼ばれる付近の丘の上にそびえる神殿跡だ。パールハーバー(真珠湾)記念館を見渡せることからも、キャンプやハイキングコースとしても人気がある。

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この神殿は1600年代に建立されたと考えられている。さらに、古代薬草が周囲に植えられており、現在もその医療効果を求めて薬草を探す人もいるそうだ。

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ワイルア川州立公園

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Wailua River State Park
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ワイルア川州立公園はワイルア川流域にある。この川は観光客も泳いだり、ボートやカヤック、水上スキーなどを楽しむことができる。さらに、ワイルア川州立公園内にワイルアのヘイアウ群(ワイルア・コンプレックス・オブ・ヘイアウ)がある。

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ここは国定歴史建造物となっており、かつては島の権力の中心だった。ヘイアウ群の中には、祈りをささげる場所、避難する場所、王族らが誕生した場所がある。

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ホクカノ・ウアラプエ・コンプレックス

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Hokukano-Ualapue Complex
National Parks Service
National Parks Service
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ホクカノ・ウアラプエ・コンプレックスはモロカイ島のウアラプエのハワイ・ルート450号線にある。ここも国定歴史建造物に指定されており、ハワイ文化が異文化に触れる前のものが残されていると見なされている。コンプレックス全体に6つの神殿があり、そのうちの多くはハワイ諸島にある古代ハワイの神殿跡の中でも最も重要なものだと位置づけられている。

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しかしながら、その中でも最もあがめられている神殿はイリイリオパエで、モロカイ島で最大の神殿であり、ハワイ諸島の中でも2番目に大きい神殿である。