カメラが回っていない瞬間を捉えた、昔のハリウッドスター

1920年代から1960年代は、ハリウッドの黄金期と言われています。この時代は、サイレント映画の終焉と、現在の映画やドラマの演出である「セリフ」のある映画の導入が象徴となりました。 また、歴史上最高傑作の映画を作り出した、監督やプロデューサーもこの時代が生み出しました。

ハリウッドの華やかな魅力の裏側で、役者たちは少し変わっているけれど、地に足の着いた普通の人達なのです。アカデミー賞を受賞する直前に、自分で化粧をするオードリー・ヘプバーンや、プール際でジョークをかますケーリー・グラントは、皆さんが持っている往年のスターに対するイメージを覆すかもしれません。

エキストラとふざけるジェームズ・ディーンとマーロン・ブランド

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Archive Photos/Stringer/Getty Images
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この写真は、手押し車にのって20世紀フォックスのバックロットを走り回る、ジェームズ・ディーンとマーロン・ブランド。これは、1954年のヘンリー・コスターの『デジレ』の撮影のまさに真っただ中です。ナポレオンを演じていたブランドを、友人であるディーンがセットまで訪問しました。

しかし、この時から1年経たずで、ディーンは交通事故で亡くなり、ハリウッドに衝撃が走ります。アメリカ中のファンも、悲しみと混乱に襲われました。

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長男と楽しむエリザベス・テイラー

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Bettmann/Contributor/Getty Images
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息子のマイケルと一緒に、サーカスのバンパーカーから落ちまいと必死にしがみついている、女優のエリザベス・テイラー。こちらの写真は1961年に撮影されました。これは、テイラーがアカデミー賞女優賞を受賞して、MGMグランドの高圧的な契約からやっと解放された1年後のことです。

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2人目の旦那さんであるマイケル・ワイルディングとの間にできたマイケルは、テイラーにとっての初めての子供です。テイラーは、生涯で4人の子どもと6人の旦那を持ちました。

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セットの息子を訪問するジョン・ウェイン

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Bettmann/Contributor/Getty Images
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ジョン・ウェインは、自身の撮影現場である『男の魂』のセットを抜け出して、近くで『ミスタア・ロバーツ』の撮影をしていた15歳の息子、パトリック・ウェインを訪問しています。 これは1954年撮影されたものです。パトリック・ウェインは、ジョンの7人いる子どものうちのひとりです。

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ウェインの多くの子どもたちは、父親と同じくハリウッドの世界に飛び込みました。しかし、その中でも最も成功を収めたのがパトリックです。40作品以上に出演し、そのうちの11作は父親と共演しています。

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おふざけモードのポール・ニューマン

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Vista Photos/Hulton Archive/Getty Images
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1960年代のテニスのプレー中、宙にラケットを投げて遊ぶポール・ニューマン。『ハスラー 』、『暴力脱獄』、『明日に向って撃て!』などの映画に出演し、当時まさに超売れっ子でした。

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1960年代に人気絶頂だったニューマンですが、1986年に『ハスラー2』の演技が評価されるまで、アカデミー賞を手にすることはありませんでした。

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珍しいマレーネ・ディートリヒの面白い一面

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Santi Visalli/Getty Images
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1967年、ニューヨークのレストランにて、テーブルの下に隠れているところをつかまった、女優のマレーネ・ディートリヒ。その美しさ、気品、立ち振る舞いで有名だったドイツ人女優は、この素直な写真で遊び心溢れる一面を見せています。

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ディートリヒは、1910年代にサイレント映画でキャリアをスタートさせ、難なく発声映画役者に転身した数少ない女優のひとりです。ドイツ人ではありますがアメリカの市民権を持っており、戦時中の人道活動を行ったことでも知られています。

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アーサー・キットの禁断の果実には、男性も我慢できない

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Harry Kerr/BIPs/Getty Images
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アメリカ人女優のアーサー・キットは、イギリスの遊園地で一緒に観覧車に乗るよう男性を誘惑している姿が捉えられています。シンガーソングライターの彼女は、祖国の米国で有名になる前に英国で知名度を上げました。キットの代表作、 『Santa Baby』は、今日でも人気の楽曲です。

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若い世代の方は『ラマになった王様』の悪役、イズマの声優として認識しているかもしれません。オーソン・ウェルズのような1950年代の人達は、キットを「世界一エキサイティングな女性」と認識していました。

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本物のマリリン・モンローだと信じられない様子の男性

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Ed Feingersh/Michael Ochs Archives/Getty Images
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1955年の3月、地下鉄のグランド・セントラル駅で思わず二度見してしまう男性。まさか本物のマリリン・モンローが自分と同じ電車を待っているとは信じられない様子です。

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モンローにとって、1955年は重要な年でした。自身のエージェントが望む作品に出演することを拒み、ハリウッドで演技することを一時禁止されたのち、ヒット作『七年目の浮気』で再びこの業界に戻ってきた年だったのです。この映画が大成功を収め、契約を再交渉して、自分自身の企業を立ち上げることに取組み始めました。

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人生最高の瞬間直前のオードリー・ヘプバーン

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Bettmann/Contibutor/Getty Images
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『ローマの休日』の演技で、アカデミー賞主演女優賞を受け取る直前に、リップをぬりなおすオードリー・ヘプバーン。同作は、ヘプバーンにとって初のアメリカ映画で、これで一躍有名になりました。

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この写真が撮影されたのは、1954年。ヘプバーンは、出演してた『オンディーヌ』が上演されていた46番街劇場から慌てて向かいました。ちなみに、ヘプバーンはこの舞台でトニー賞の最優秀賞を受賞しています。

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パスポートを取り戻してご満悦なマーロン・ブランド

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Bettmann/Contributor/Getty Images
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1953年、記者団に誇らしげにパスポートを披露する伝説の俳優、マーロン・ブランド。この1週間前に、ブランドはプロモーションツアーのためにヨーロッパへ渡航する予定でしたが、パスポートが友人の車から盗まれるという事態に。船に乗り込もうとしましたが、有名人であってもパスポートなしでは、渡航を拒否されてしまいました。

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このパスポートは、実はブランドがなくした5冊目のパスポート。緊急用パスポートを発行してもらうために、1週間待つ羽目になりました。

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筋肉と子どもを見せびらかすカーク・ダグラス

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Hulton Archive/Getty Images
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1955年、ハリウッドの自宅プールにて、ポールを使ってジョエル(左)とマイケル(右)の息子2人を持ち上げるカーク・ダグラス。ダグラスは、1950年代に一躍有名になり、アメリカンドリームの代名詞となりました。彼は、移民の親の息子であり、子ども時代は貧しい生活をしていたのです。

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ジョエルもマイケルも、父親の足跡をたどっています。ジョエルは、映画プロデューサーとなり、ご存知かとは思いますが、マイケル・ダグラスの方は、近年最も有名な俳優のひとりとなっています。

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そっくりな娘のライザ・ミネリを見せるジュディ・ガーランド

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Staff/Mirrorpix/Getty Images
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一緒に出演していた新しいイギリスのテレビ番組の直前に、親密な時間を共有する、ジュディ・ガーランドと娘のライザ・ミネリ。ガーランドは、42歳で自分自身のテレビ番組、『ジュディ・ガーランド・ショー』の収録を終えたばかりでした。同番組は、1シーズンで打ち切られてしまったものの、高い評価を受け、エミー賞で4部門にノミネートされました。

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一方のライザは18歳。『Mr. Broadway』でオペラ歌手としてゲスト出演して、これからのキャリアをスタートさせたばかりでした。

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最高の母親、ジェーン・マンスフィールド

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Chris Ware/Keystone Features/Getty Images
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舞台裏のジェーン・マンスフィールドを写したこちらの写真では、アメリカのセクシー女優の別の一面があらわれています。ハリウッドの自宅にて、他の母親と同じように、息子のおむつを替える間、口にピンをくわえるマンスフィールド。

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マンスフィールドは、初期のプレイボーイのヌードモデルです。1950年代から1960年代にかけてハリウッドでは、成功を収めましたが、衣装の不具合や、ロバート・ケネディやジョン・F・ケネディとの不倫でも知られるようになってしまいました。

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ハリウッドの主役級俳優2人の憶測を呼んだ写真

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Hulton Archive/Getty Images
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ケーリー・グラントとランドルフ・スコットは、ハリウッド初期の主役俳優たちです。どちらも1930年代にキャリアをスタートさせて、同じ時期に一緒に住み始めました。12年の間、断続的にハリウッドで生活を共にしていた2人。

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多くの人は、この2人が、当時公にはできなかったものの、ゲイの恋人関係にあるのではないかとの憶測をしていました。しかし、証拠はどこにもありませんし、どちらも数回女性と結婚しています。しかし、2人は現在でもゲイなのではないかと思われています。

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貫くようなまなざしのジェーン・バーキン

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GERARD FOUET/AFP/Getty Images
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こちらは、議論を巻き起こしたフランス映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』のセット上で撮影された、英国女優のジェーン・バーキン。映画は、バーキンの夫であるセルジュ・ゲンスブールが監督を務めており、様々な理由でアメリカの観客に衝撃を引き起こしました。

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恋の三角関係がメインですが、ゲイのトラック運転手が、ボーイッシュな見た目の女性であるバーキンの役のために、別のトラック運転手を捨てるという筋書きです。

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いつも通りジョークをかますジャック・ニコルソン

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Ron Galella/WireImage/Getty Images
Ron Galella/WireImage/Getty Images
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1977年のCBCイノーギュラルガラにて、ジャック・ニコルソンのジョークに飽き飽きした様子の、ウォーレン・ベイティとローレン・バコール。ベイティとニコルソンは、1960年代初期に出会ってから、生涯の友人となりました。

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ニコルソンとベイティの元妻たちは、2人のことを悪友同志と呼んでおり、この2人の俳優は、今でも親しくしています。どちらの自宅も、プレイボーイ・マンションに直接つながるトンネルがあるんだとか…

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メリーポピンズになる、だいぶ前のジュリー・アンドリュース

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George Konig/Keystone Features/Hulton Archive/Getty Images
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これは、14歳のジュリー・アンドリュースが、BBCラジオの防音スタジオで腹話術と共に歌う様子です。1950年に撮影されたこちらの写真は、アンドリュースが、『ロイヤル・バラエティー・パフォーマンス』にて、ジョージ6世の前で、パフォーマンスを行いました。そして、これは最年少のパフォーマーになった1年後に公開されました。

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19歳の時、米国に移住してそこでのキャリアをスタート。しかし、人気となったのは『メリーポピンズ』に出演した1963年になってからです。

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セットに息子が遊びに来た時のハンフリー・ボガート

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Pictorial Parade/Staff/Getty Images
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『バトル・サーカス(原題)』の撮影中、息子スティーブンの訪問にご満悦な、アメリカ人俳優のハンフリー・ボガート。ボガートは、49歳の時に、初めて父親になりました。こんなに年を取ってから子どもを授かるとは思っていなかったようですが、息子が撮影のセットに遊びに来てくれた時はいつも楽しんでいたようです。

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スティーブンは、ターナー・クラシック・ムービーズの脚本家となり、番組を率いていました。父親の作品を放映し、クラシックなハリウッドの遺産を残すこと誇りを持っている、とかつて語っていました。

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イヌと待ちに待った休憩をとるキャサリン・ヘプバーン

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Ullstein Bild/Getty Images
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伝説的な映画女優のキャサリン・ヘプバーンが、共演者のケーリー・グラントとイヌと戯れる様子。こちらの写真は、「ボックス・オフィス・ポイズン」(金にならないスター)というレッテルを貼られた直後の、1938年に撮影されたものです。彼女は、コマーシャルでの度重なる失敗によって、ハリウッドのブラックリスト入り。しかし、見事に力をつけ、画策したことでも有名ですよね。

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ヘプバーンは自身の契約を買収して、『フィラデルフィア物語 』の製作権を得て、ハリウッドスターに返り咲きました。

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人道活動に関する映画でベティ・デイヴィスがカメオ出演

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Warner Brother/Getty Images
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1944年、『ハリウッド玉手箱』のセットで自分自身としてカメオ出演するベティ・デイヴィス(左)。映画は、デイヴィスとジョン・ガーフィールドが、1942年に設立した実際の食堂が元になっています。本物の食堂は、ハリウッドの様々な協会や、団体からの寄付で成り立っていました。

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この食堂では、軍服を着ているアメリカの軍人は飲み食いタダです。デイビス、ベティ・グレイブル、マレーネ・ディートリヒは、給仕までして、お客を歓迎しました。

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珍しいカメラの裏側のシドニー・ポワチエ

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Ira Wyman/Sygma/Getty Images
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『ハンキー・パンキー』のセットで監督をしている、アフリカ系アメリカ人俳優兼監督のシドニー・ポワチエ。ポワチエは、ハリウッドのアフリカ系アメリカ人に対するたくさんの常識を破っています。1940年~1950年の間にハリウッドで知名度を上げていき、ついに1964年、『野のユリ』の演技が評価され、初の黒人男性となるアカデミー賞主演俳優賞を受賞しました。

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ポワチエは、俳優業でも有名ですが、監督業でも、彼の最高作、『スター・クレイジー』には、リチャード・プライヤーとジーン・ワイルダーが出演しています。

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スリムでシュッとしたサミー・デイヴィスJr.

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Evening Standard/Getty Images
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こちらの写真は、1968年、ゴム製のチェスト・エクスパンダ―で筋トレをするサミー・デイヴィスJr.の姿をとらえています。デイヴィスJr.は3歳の時に役者業と歌を始めていますが、キャリアのピークは1960年代です。1960年、ラット・パックメンバーたちと共に『オーシャンと十一人の仲間』に出演。その後、ブロードウェイや自分自身のテレビ番組を持つようになりました。

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彼は、1954年の交通事故で死にかけた時から、健康維持を気にかけていました。

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007撮影の休憩中のショーン・コネリー

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Sunset Boulevard/Corbis/Getty Images
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1965年、『007 サンダーボール作戦』のセットでリラックスする姿をキャッチされた、スコットランド人俳優のショーン・コネリー。元々、コネリーは役者業を追い求めるつもりはありませんでした。しかし、1950年代、彼の肉体と優れた能力にたくさんのスカウトの目が彼を逃しませんでした。 お金のために、制作の舞台裏で働いていたコネリーですが、少しずつ、小さな役やエキストラの仕事を得るようになってきました。

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コネリーの大きな分岐点となったのは、もちろんイギリスのシークレットエージェントのジェームズ・ボンドに抜擢されたときです。その後も計7つのボンド作品に出演しました。『007 サンダーボール作戦』は4作目です。

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おさると比べると不気味さがないアルフレッド・ヒッチコック

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John O Gready/Fairfax Media/Getty Images
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伝説的な映画監督のアルフレッド・ヒッチコックは、1960年、タロンガ動物園で動物たちと触れ合う姿が目撃されています。当時一般の人は、『窓裏』や『サイコ』などの、真剣で恐ろしい顔をしているヒッチコクに見慣れていました。

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この写真では、俳優を「家畜」と呼ぶ、ハリウッドでも最も意見が分かれる性格を持つ同監督の別の部分が見られます。

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職務報告中にサインに応じるエルビス

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Bettmann/Contributor/Getty Images
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ドイツのフリートベルク基地にて、ティーンエージャーにサインをする、エルヴィス・プレスリー。1958年にプレスリーが軍隊に徴兵されたことは、当時大きな話題となりました。バスに乗りむ姿や、基本トレーニングをする姿が写真に収められています。

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軍では特別扱いを受けたくなかった、と話すプレスリー。他の軍人たちは、プレスリーが他の人同様、普通に過ごせるように彼を受け入れたそうです。軍での経験は、結果的に正解でした。フリートベルク滞在中、将来の奥さんである、プリシラ・プレスリーに出会ったのです。

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息子とバックヤードで遊ぶルシル・ボール

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Gene Lester/Getty Images
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ロサンゼルスの自宅のバックヤードで遊んでいる息子のデジ・アナーズ・Jr.にキスをする、ルシル・ボール。『アイ・ラブ・ルーシー』のルーシー・リカードで有名なボールは、夫のデジ・アーナズとの間に2人の子どもをもうけています。

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彼女の妊娠が、番組のプロットに含まれていたため、デジ・アナーズ・Jr.の誕生は波紋を呼びます。CBSは、番組内で「妊娠」という言葉を使うことを許さなかったものの、ボールはテレビで妊娠する姿を見せた、初めての女優となりました。

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何を注文すべきか選べない、チャップリン

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1950年、当時の妻であるポーレット・ゴダードと共にメニューに目を通す、チャールズ・チャップリン。チャップリンのキャリアのピークは1920年代~1940年代でしたが、1950年代も、アメリカから追放されるまで、俳優業や監督業を続けていました。

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チャップリンは、インスピレーションを得るために訪れた英国からアメリカに帰る途中、政治的な信仰に関するインタビューを受けない限り、アメリカへの入国を拒否する、と司法長官ジェームズ・P・マグラネリーから通告を受けます。インタビューを受けさせられることになるならと、チャップリンはこの通告を拒否。1977年に逝去するまで、アメリカ国外に居住しました。

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『お熱いのがお好き』で勝負に出たハリウッドの主演級俳優2人

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『お熱いのがお好き』のセットソファーで、役柄の衣装のままリラックスする、トニー・カーティスとジャック・レモン。1959年公開の同映画は、ハリウッドの製作規範から承認を受けずに製作されました。異性装やホモセクシュアリティの要素が含まれていたためです。

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この要素は、議論を呼んだものの、映画自体はかなりの大成功。今日でも、最も素晴らしい映画の一つに数えられています。英国映画協会では、14歳になる前に見ておくべき映画50選の一つに同作を挙げています。

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1人目の奥さんマギーと踊るクリント・イーストウッド

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暗いリビング内で、1人目の奥さんマギーと共に、ダンスをするクリント・イーストウッド。写真が撮影された1965年、イーストウッドは、『ローハイド』のロディ・イェーツ役でも人気上昇中でした。

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1人目の奥さんマギーとは、30年間連れ添いましたが、イーストウッドは、何度も浮気をしていたことでも有名。マギーにプロポーズしてから結婚するまでの間にも浮気をし、浮気相手との間に出来た子どもは養子に出されたとされています。

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妻と一緒にポーズをとるジェリー・リー・ルイス

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ロカビリー歌手のジェリー・リー・ルイスは、バイクの横で、13歳の奥さんのマイラとポーズ。1950年代のルイスの爆発的な人気をもってしても、この結婚は非難の的になりました。マイラは、未成年であるだけでなく、22歳のルイスの3番目の奥さんでもあったんです。しかも、ルイスの父方のいとこの子です。

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こちらの写真は、一般人がこの結婚の噂をかぎつける、1ヶ月前に撮影されたものです。そしてこれを得て、ルイスは、ほとんどのラジオからブラックリスト扱いされてしまいました。完全に戻ってこれたのは、1960年代になってからです。

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靴磨きをしてもらう間、衣装のまま座っているクラーク・ゲーブル

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William Grimes/Michael Ochs Archives/Getty Images
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1938年、撮影直前に靴を磨いてもらっている、ハリウッドのキング、クラーク・ゲーブル。以前から、ハリウッドでの地位を上げてきていたゲーブルですが、『風と共に去りぬ』で主演を務めた翌年の1939年に、最も広く知られるようになります。

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しかし、実はゲーブル本人は、主演を演じることに意欲的ではなく、ハリウッドの多くの俳優たちは、映画がオオコケするだろうと思っていました。

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複雑な水中シーンを撮影するエスター・ウィリアムズ

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この状況に信じられない様子の、女優のエスター・ウィリアムズ。『ジュピターズ・ダーリン(原題)』の監督が、水中でのカメラワークを説明しています。現在でも、水中でのカメラ撮影は困難を極めます。1954年には、元の機材の上にウォータープルーフのプロテクターをつけ、カメラマンがスキューバダイビングの用具を身につけて、撮影していました。

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ウィリアムズは、「水中ミュージカル」にはまさに適任。実は女優になる前は、競泳者として活躍していたのです。そして後に、オリンピックの水泳解説者も務めています。

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撮影の合間の休憩中、オリヴァー・ハーディとスタン・ローレル

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1928年、MGMスタジオの裏側で、『トウド・イン・ア・ホール』の撮影に戻るまで休憩している、象徴的なコメディーデュオのオリヴァー・ハーディとスタン・ローレル。 キャリアの中で、短編・長編映画を合わせて、2人は107作品も共演しています。

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1927年に初めて共演し、スラップスティック・コメディ映画で有名になりました。尊大で意地悪な役を演じるのがハーディ、不器用でこどもっぽいキャラを演じるのがローレルです。

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体形を維持するためにビーチで懸垂をするジョン・ペイン

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Homer Van Pelt/Margaret Chute/Getty Images
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俳優になる前は、レスラーだったペイン。ビーチで懸垂をして、その力を見せつけます。『ウィングス・オブ・ザ・ネイビー』を撮影中も、彼は体形を維持を心がけていました。ペインは、肉体のお陰もあり、西部劇によく起用されていた

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キャリア後半では、多くのフィルム・ノワールで主演を務めます。ペインの最も顕著な役柄は、『三十四丁目の奇蹟』でのフレッド・ゲーリーです。

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撮影の合間にメイクをなおすミルドレッド・ハリス

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Edward Gooch Collection/Getty Images
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主演のミルドレッド・ハリスが、シーンの合間にメイクを施す姿をとらえたのが、こちらの写真。ハリスは、11歳の時に、ハリウッドでのキャリアをスタートさせています。そして、1920年代前半に、大人気となりました。しかし、セリフ付き映画への変遷で苦戦します。

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有名な話ではありますが、ハリスはチャールズ・チャップリンの最初の奥さん。1919年に第1子が死亡したあと、2人は別れて、泥沼の離婚劇に突入しました。結局、ハリスは100,000ドルの慰謝料を受け取っています。 (現在の130万ドルに相当。)

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ドロシー・ラムーアの髪で遊ぶチンパンジーのジグス

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Hulton Archive/Getty Images
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『ジャングル・プリンセス(原題)』のセットで遊ぶ、ドロシー・ラムーアと共演者のジグス。ラムーアにとっては2作目でしたが、同作で自身の人気を確固たるものにしました。この映画でラムーアは、その後の彼女の代名詞となった、トロピカルなジャングルスタイルのドレスを身に着けています。

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1936年から1939年の間、ラムーアは『ジャングルの恋』や『セニョリタ』などの「ジャングル系」の役で映画に数々と出演しています。このような映画スタイルは、1940年代に人気を博します。ラムーアは、「ジャングル系」のパクリ映画である、『シンガポール珍道中』にも出演。

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ジョージ・ペパードのためにギターを弾くオードリー・ヘプバーン

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『ティファニーで朝食を』の休憩中、有名な役柄、ホリー・ゴライトリーの衣装で共演者のためにギターを弾く、オードリー・ヘプバーン。撮影時には、交際の噂があった2人ですが、当時ヘプバーンはメル・ファーラーと結婚中でした。

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1961年に公開されたこの映画で、ハリウッドで独り勝ちだったヘプバーンの地位は確固たるものになっています。彼女の役柄の黒いドレス、高さのあるシフォンのヘアスタイル、大きめのパイプたばこは、20世紀の最も記憶に残る映画の衣装と言っても良いでしょう。

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ジーナ・ロロブリジーダをセットまで訪問するジョー・ディマジオ

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PA Images/Getty Images
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『空中ぶらんこ』の撮影中であるイタリアの映画女優、ジーナ・ロロブリジーダを訪問する、野球界のスター、ジョー・ディマジオ。 1955年、ロロブリジーダは、パリで撮影をしていました。しかし、ディマジオは彼女に会うために、わざわざ飛行機で訪問。2人の「友情」が始まったのは、ディマジオとマリリン・モンローの結婚生活が破綻してから、1年後のことでした。

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9ヶ月の結婚生活の後、「精神的虐待」という理由で別れた、モンローとディマジオ。これを機に、ディマジオは生活を一変させ、飲酒をやめ、セラピーを受けます。

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娘のジェーンと遊ぶ、俳優のヘンリー・フォンダ

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Pictorial Parada/Archive Photos/Getty Images
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自宅のヨットのそばで遊ぶ姿を撮影された、5歳のジェーン・フォンダ。父親のヘンリー・フォンダは、ブロードウェイで有名になり、1935年にハリウッドでも活躍し始めます。1940年代になって、『怒りの葡萄』や『十二人の怒れる男』 などの作品で、ハリウッドの人気俳優にのし上がりました。

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娘のジェーンも10代のころから演技に興味を示しており、1960年には、『トール・ストーリー』という映画で初の映画出演を果たしています。

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セットでサッカー観戦する、レックス・ハリソンとサマンサ・エッガー

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1966年の映画『ドリトル先生不思議な旅』の役の衣装を着たまま、撮影の合間にサッカーのワールドカップの決勝を観戦する、レックス・ハリソンとサマンサ・エッガー。ハリソンもエッガーもイギリス人のため、イングランド対西ドイツの戦いが見逃せなかったようです。

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ハリソンは、ハリウッドで最も尊敬されている英国人俳優のひとり。1964年にアカデミー賞主演男優賞を受賞して、1989年には、エリザベス女王からナイトの称号を受けました。

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ベンツを押して道路に戻そうとするソフィア・ローレン

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Carlo Bavagnoli/Mondadori Portfolio/Getty Images
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舗装された道路に自分の車を戻そうと苦戦する、イタリアの女優、ソフィア・ローレン。沸き立ったファンを避けるため、誰にも会わないようにと、舗装された道路を逸れて運転していました。『トゥーナイト・ウィズ・クレオパトラ(原題)』や『月夜の出来事』などの映画に出演した1956年は、彼女にとってキャリアの最盛期です。

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50年代、60年代は、立て続けに様々な映画に出演。そして、母親になるまでその勢いは衰えることがありませんでした。